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雲外の峰 (2017-5-14 0:01:36)高山1979年 (2017-3-23 12:19:02)
高山1979年
初めて飛騨高山に行ったときである。駅でもらった観光案内を見ながら歩いた。
今となってはどこをどう歩いたか、はっきりしない。
まず、見に行ったのが飛騨民族村。高山駅から南へ下り、陸橋を渡る。
飛騨民族村へは1キロ半ほど歩いただろうか。
合掌造りの家がある。
一階が住まい。2階3階は養蚕のための屋根裏のようなもの。
古民家らしく、木製の車輪が並んでいた。
円盤状の板もある。
右端の小さな家は水車小屋だったか。
高山陣屋
飛騨が徳川幕府の直轄地となってからは、江戸から来た代官や郡代が、ここで飛騨の政治を行った。この役所は陣屋と呼ばれ、城ではない。残っているのは高山だけという。
形はきれいに残っている。
倉庫。かなり広い。
宮川にかかる中橋
宮川の朝市で、珍しくアケビを見つけた。
「わーおいしそう。これください。おいくらですー?」
「値段のつけようがないので、差し上げますよ」
大勢歩いているが、これを欲しがったのはわたし一人だけとか。
無料でもらったのに、喜ばれた。
古民家の頭上、見事な木組みである。
別な家だがこれも古民家。
照蓮寺、尼さんが福来博士(文学博士)の説明をしてくれたが……。
福来博士は月の裏側の写真を撮ったと言っていた人物。
国分寺の塔、ここは入らなかった。
付録
白川郷まで足を伸ばした。数コマの写真を載せておきます。
この谷間の風向きを考えて家の向きを決めている。そのため位置によって少しづつ向きがずれる。
初めて飛騨高山に行ったときである。駅でもらった観光案内を見ながら歩いた。
今となってはどこをどう歩いたか、はっきりしない。
まず、見に行ったのが飛騨民族村。高山駅から南へ下り、陸橋を渡る。
飛騨民族村へは1キロ半ほど歩いただろうか。
合掌造りの家がある。
一階が住まい。2階3階は養蚕のための屋根裏のようなもの。
古民家らしく、木製の車輪が並んでいた。
円盤状の板もある。
右端の小さな家は水車小屋だったか。
高山陣屋
飛騨が徳川幕府の直轄地となってからは、江戸から来た代官や郡代が、ここで飛騨の政治を行った。この役所は陣屋と呼ばれ、城ではない。残っているのは高山だけという。
形はきれいに残っている。
倉庫。かなり広い。
宮川にかかる中橋
宮川の朝市で、珍しくアケビを見つけた。
「わーおいしそう。これください。おいくらですー?」
「値段のつけようがないので、差し上げますよ」
大勢歩いているが、これを欲しがったのはわたし一人だけとか。
無料でもらったのに、喜ばれた。
古民家の頭上、見事な木組みである。
別な家だがこれも古民家。
照蓮寺、尼さんが福来博士(文学博士)の説明をしてくれたが……。
福来博士は月の裏側の写真を撮ったと言っていた人物。
国分寺の塔、ここは入らなかった。
付録
白川郷まで足を伸ばした。数コマの写真を載せておきます。
この谷間の風向きを考えて家の向きを決めている。そのため位置によって少しづつ向きがずれる。